ある日、カップルがディナーを食べにレストランに行ったとします。
席に座ってメニューを見て、お互いに食べたいものを注文します。
言うまでもなく、これはごく普通の行動ですよね。
つまり、特に事情がなければ、お互いに
「その時食べたいもの」
を注文しますよね。
彼女がスパゲティを食べて、彼がグラタンを食べたりします。
同じテーブルでお互いに相手とは違った料理を食べていても、その事を特に問題視することはありません。
ただ、これが二人の触れ合いやセックスになりますと意識が変わることはよくあります。
何をしたいかという二人の望みが違っていますと、とても残念に感じてしまったり、触れ合いをやめてしまったりします。
望みが違っていることを残念に思うのは自然な気持ちのあらわれではありますが、ただ、たとえば今のディナーの例で考えますとどうでしょうか。
何かの記念日などの特別な日に、あえて二人で同じ料理を食べて楽しむという事はもちろんあるでしょうが、「その日何を食べたいか」「どういう料理が好みか」というのは、人によって時によって、違いますから、普段においても二人はいつも同じメニューを注文しようとするとかえってよくありませんよね。
レストランに来ている時点で二人はすでに
「ディナーの時間を共有」
していますから、
料理の内容についてはむしろ重く考えずに、
「お互いに自分の食べたい料理を食べる」
ようにして、料理が同じかどうかはあえて軽くとらえているからこそ、ディナーを気軽に楽しめるところはあります。
しかしこの時、
「食べたいものは同じにならなければ不満」
「同じでなければディナーにはいかない」
ということですと、二人でディナーに行く機会はだいぶ少なくなってしまうか、またはなんとなく不満を感じることが増えてしまうかもしれません。
食べている物が違っていても、大事なことは、
「レストランでのディナーの時間を二人で楽しんでいる」
ということですよね。
「セックスや触れ合いの時間は共有しながらも、お互いに違う内容を楽しんでいる」
という状態は悪くありません。
むしろそれを気軽に楽しめる二人というのは良い状態と言えます。
「どういう触れ合いをしたいか」
「セックスの内容で何をしたいか」
という事の一つ一つも全部共有すべきだ、という意識が強いようですと、それはかえって不満やマイナスな感情を度々招いてしまい、二人の触れ合いやセックスに対する気持ちが低下してしまうことに大きな影響を与えていることは時に気付きにくい点です。
彼女がスパゲティを食べている最中に彼がグラタンを食べていても、お互いにおいしくそれを食べます。
自分が好きなスパゲティまたはグラタンを相手にも好きになってもらう、ということと、気軽に二人でディナーに行けるようになる、というのは話が同じではありません。
セックスにおいてもそこは意味を持ってきます。
そしてそちらの方が簡単な事も多いわけです♪