例えば、食欲が低下している人に
「大盛りかつ丼食べる?」
「または何も食べない?」
と尋ねたら、恐らく大抵は「食べない」という返事が来るでしょう。
あらかじめその二つの選択肢しかなかったとしたら、自然とそうなるかと思います。
二人のセックスにも似た理屈がある場合があります。
二人の間に、
「あらかじめどのような選択肢があるか」
というのは、セックスを受け入れる、セックスを拒否する、という事に関しての大きな要素となります。
そして、
「何度尋ねても、大盛りかつ丼を食べようとしない」
ということだったとしても、それは
「そもそも食べることが嫌い」
ということではありませんよね。
もし、
「かつ丼が嫌ならフルーツを少し食べる?」
と聞いたなら、「食べたい」と言うかもしれません。
ですから例えば、
「私のパートナーはセックスをしたがらない」
という時にも、
「どんなセックスでも全て嫌」
「どんな触れ合いも嫌だ」
とは限らないわけですね。
セックスレスで悩んで辛い思いをしている時には、
「こういう二人になりたい」
という思いを強く持つものです。
やはり、悩みが大きいほどその思いも大きくなりますから、逆に、
「そういう二人になれなければ満足や納得ができない」
という思いも自分の中で大きくなるものです。
そういう時には、
「やはり、二人でかつ丼を食べられるようになりたい」
というものが唯一の目標になってしまうこともあります。
ただ、そんな中でも、
「相手の食欲に合わせてフルーツを提案する」
ことをするだけで、笑顔で一緒に食べられるようになることも考えられるわけです。
これはまた別のたとえも出来るかもしれません。
ある時、
「週末に一緒に朝から夜まで遊園地に遊びにいかない?」
とパートナーを誘ったとします。
そんな時にも、もし最近パートナーが仕事の疲れを感じていたならば、朝から夜まで遊園地に行くのは
「疲れるから嫌だ」
と思うかもしれません。
でも、もしそうだったとしても、それは
「二人で出掛けること自体が全て嫌だ」
ということではありませんよね。
そんな時でも、
「近所のショッピングモールにランチを食べに行く」
ということだけであれば問題ないかもしれませんし、さらにそのショッピングモールの中にパートナーが趣味にしているお店があるならば、笑顔でつきあってくれるかもしれません。
ここで一つポイントなのは、
「選択肢があるか」
という点です。
二人の間において
「週末のお出掛け」
というものは遊園地という選択肢しかなかったとするならば、疲れている時には
「お出掛けは嫌だ」
という単純な結論が出て終わりになってしまうことが多くなります。
しかし、選択肢の一つとしてそこに
「近所でランチ」
という、本人にとって受け入れられる範囲のものがそこにあるだけで、単純な「お出掛けは嫌だ」という理屈をわざわざ発生させてしまうことはなくなります。
ただ、この時同時に重要なのは、
「本人がそれを選択肢に持つことが出来る状態にあるかどうか」
ということです。
つまり、「近所でランチ」という選択肢が「何となく」そこにあったとしても、それを
「本人が提案出来ない状態」
「本人が選択出来ない状態」
にあるのならば意味がない、ということです。
最近疲れているから「近所でランチ」を提案したいのだけれど、
「それだと嫌だと言われそう」
であるとか、
「それだと不満を表明されそうだから実際には提案出来ない」
ということであれば、それは本人に選択肢があることにはなりません。
また、今の場合の「近所でランチ」というのはそれなりに具体的なものでしたが、そういった「遊園地以外の選択肢」があらかじめ用意されていなく、あまり「漠然としていても」選択肢がないのと同じ理屈になってしまいます。
例えが長くなってしまいましたが、これはセックスレスの一つの理屈の話です。
つまり、「セックスをしよう」と相手を誘って断られたとしても、単純に、
「相手はセックスが嫌いなんだ」
「私と触れ合いたくないんだ」
と考えなくてはならない訳ではありません。
例えば一つとして、その時の相手は、
「選択肢が持てない状態」
になってはいないでしょうか。
そしてこれらのことは、自分のパートナーがそうなってしまっていることに自分がなかなか気付きいくいためにそれによって知らずにセックスレスの大きな要因なってしまいます。
でも、それはその逆の理屈もあります。
自分のパートナーがセックスに対して消極的だったとしても、実はどこかで
「こういうセックスであればしてもいい」
と思えるものを持っているということはとても多い訳です。
その、相手が思うなりのセックスを本人が選べる、または提案出来る、状態にあるかどうかというのは大きなポイントのひとつです。
拒否をされるこちら側の自分が
「どういう形のセックスでもいいのに」
と心の中で思っていたとしても、相手がそのセックスを提案出来ない状態であれば意味がありません。
そして、自分自身が意図せずにそのような状態を作ってしまっているということも少なくありません。
例えばですが、セックスを拒否されて辛い思いをしている最中などには、自分の中で
「二人の間においてのセックスの意味」
というものが無意識のうちにとても大きなものになっていくものです。
そうすると、相手がその「セックスの意味」自体に重さを感じてしまって、本来なら
「気軽なセックスならしてもいいのに」
と思っていたとしても
「それは許されない」
と感じてしまい、相手は提案も出来なくなっている、というのは考えられることです。
自分がセックスレスで悩んで辛い思いをするほどに、
「気軽で簡単なセックスは許されない」
という空気を無意識に作ってしまうわけです。
こういった中では、
「気軽なセックスがいいならそう言ってくれればいいのに」
と相手に対して思ったとしてもあまり意味がないことになってしまいます。
でも決して、残念にばかり思う必要はありません。
こういったパターンの時には、相手が思う
「セックスはこうでないと許されない」
というものに、少しでも、
「こうでもいいんだ」
と思えるものが発生すれば、話はだいぶ違ってきます。
ある時セックスをしようかどうしようか、と頭の中で考えたり、または相手からセックスの誘いを受けたりすると、事前に
「もしする事になったら、どういった内容のセックスをすることになるのか」
というイメージを、無意識に頭の中に思い描くものです。
そのイメージは主に、
「これまで二人がしてきたセックス」
というものをイメージして、今度もまたそういった感じのセックスになるだろうと思うでしょう。
そういった、どのくらいの時間をかけて、どういった内容のセックスをするか、といった事については、二人の中で無言の認識となっている、いわば
「二人にとっての標準のセックス」
というものが頭の中にあるものです。
ですから、二人がセックスをしようかとなると、事前にその標準のセックスをイメージします。
ただ、もしその日の気分やコンディションによって、事前にイメージした時点で標準のセックスを「重い」と感じたならば、
「セックスはやめよう」
という判断をすることになります。
もしその時、
「簡単で短時間のセックスであればしてもいいのだけれど・・・」
という思いが頭のどこかにあったとしても、
そういった事を提案出来ない二人の空気であったり、そもそもそういった選択肢がない二人であったならば、あまり考えないうちに
「セックスはしない」
という判断を下すことになってしまいます。
普段、仕事が忙しいなどによっていつも「標準のセックスでは重い」と感じてしまう状態が続いていて、かつ、二人の間には「標準のセックス」しか存在しないとなると、それによって簡単にセックスレスになってしまいます。
そしてここで一つポイントなのは、そういった状態を解決するためとして、たとえ相手が疲れている中でも、
「標準のセックスをしてもいい」
と相手が思えるようになってもらう、それを目指してがんばる、というようにはあまり考えない方がよいということです。
つまり、標準のセックスは固定した存在としてそのままで、
「そのセックスを相手がしたくなってくれるかどうか」
が解決の中心であると考えることです。
自分の気持ちとしてはそれを望みたくなることも多いと思いますが、それだとなかなか難しい道となりやすいものです。
それは無理だということではありませんので、一切しない方がよい、のではないですが方向性としてそれだけでもって進んで行こうとしますと行き詰まりやすくなります。
それよりも、例えば標準のセックスというものを一旦なくしてしまって、相手が
「してもいい」
と思える形の触れ合いの実現を考える方向性と、そのためのちょっとした仕組み、
それが効果的になってきます。