一つの例として、ある男性Aさんの話です。
男性Aさんは、普段の生活の中で妻のBさんの体にもっと触れたいと思っていました。
胸やおしりなどのちょっとエッチなところにさわったりすることも望んでいました。
ただ、実際に妻のBさんに触れようとしますと、妻Bさんからは
「私はそのように触られる事は望んでいない」
というような雰囲気と共に、軽く拒否されるような感じでした。
男性Aさんはそれが残念でくやしいので、
「妻が、私に触ってほしいと思うように変わってほしい」
と思い、それを期待し続けました。
しかし、いくら待っても、期待しても、妻がそのように変わることはありませんでした。
Aさんは、いくら期待しても妻が変わってくれないことにさらに不満を募らせる思いになり、
「もう妻には近付くのをやめよう」
と思うようになり、一切をあきらめました。
ただそんな時、一方の妻のBさんはというと、実は夫に触れられること自体が全て嫌な訳ではありませんでした。
嫌ではないのですが、ただ、夫Aさんから触れられる最中には、乳首などの敏感な部分を突然触られることも多かったため、Bさんとしてはまず「くすぐったい」というところがあり、
さらに、
「突然敏感なところを触られるのは、とまどってしまう」
ということもありました。
ただ、そのように感じていた妻のBさんとしても、あからさまに夫を拒否するのもなるべくやめようとも思ってはいましたので、なんとなく
「それはちょっと困る」
という態度を普段無言で示すようにしていたのです。
妻Bさんも夫とのスキンシップ自体は望んではいますので、
「もっと別のアプローチをしてほしい」
と心の中では思っていたのです。
さて、
そんなすれ違いの二人だったのですが、それからしばらく時間がたったある時からは、ガラッととても良い関係に変わりました。
その時、二人には何がおこったのでしょうか。
それは次のような事でした。
妻のBさんが
「どういう時、どういう形なら触られても平気なのか」
「どいう触られ方を望んでいるのか」
という事を夫Aさんが知り、
さらに、夫Aさんから妻Bさんには
「そういう触り方にするから無言で拒否しないようにしてほしい」
という事が伝わった、という、ある意味それだけのことでした。
夫Aさんは、好きなだけ妻Bさんに触れるようになり、妻Bさんも、夫に求められている愛情を感じることが出来るようになったのです。
最初のAさんが考えていたように
「妻が夫に触ってほしいと思うように変わってほしい」
と期待している間は、とても難しい作業となり、その難しさがそのまま「二人が近づく難しさ」とイコールであると感じてしまい、
「二人は近付けない」
と思ってしまいます。
この事はセックスにもあてはまることです。
「自分が望んでいるセックスを、相手も同じように望んでくれるようになってほしい」
ということ、それだけを期待していますとなかなか難しい道を選んでしまい、二人の距離は遠い、と感じてあきらめたくなってしまいます。
「相手に、自分と同じようにセックスを求める人に変わってほしい」
「自分と同じものを求めるような人に変わってほしい」
そのような思いはごく自然な気持ちですし、そのように願うことは何も悪い事はないのですが、
「問題の解決には相手がそのように変わってくれるかどうかがカギで、解決出来るかどうかはそれにかかっている」
というように思ってしまうことにはちょっと注意が必要です。
そのことを目指していますと、なかなか難しい道を進むことになる可能性が高くなります。
先ほどの夫婦は、夫が思うような体の触られ方を妻が好きになるのは難しいことでした。
でも、
「妻はどういう触られ方を希望しているのか」
というのが夫に伝わったことから二人の関係がガラッと変わりました。
無言でほぼ完全にあきらめあっていた二人だったのが、頻繁に触れ合う二人になりました。
そして、この時もう一点重要であった点があります。
それは、
「夫は、妻が希望する触り方をするようにするので、妻は触れ合い自体を無言で拒否することはしないでほしい」
という事が、同時に夫から妻に伝わったというところです。
パートナーとの関係の中で自分が望む事があるけれどもそれがなかなか叶わない時には、その実現のためには相手も同じようにそのことを望むようになってくれることが必ず必要・・・という訳ではない、ということです。