解消するには その1
セックスレスというのは、そもそも色々な状況がありますよね。
二人の間にセックスが「あるか、ないか」ということだけでなく
「二人の間で多少セックスはあるのだけれど、気持ちはとても辛い」
というセックスレスもありますし、
また、
「二人の関係は悪くないけど、セックスだけが全くない」
という場合もあります。
セックスレスというのは、何に辛さを感じていて、どういう状態になりたいと思っているか、というのが人によって様々に違う、という要素が一つ大きくあるわけですよね。
ですから、それによって解消の手段や方法、目的も変わってきます。
それは、たとえばどこかにお出かけをする際に、
「どこに行きたいかによって交通手段が変わってくる」
というのと似ているかもしれません。
隣町に行くのに飛行機を使わないですし、
外国には自転車で行きません。
ただ、セックスレスを解消しようとがんばっている時というのは、漠然と辛い思いでがんばっているけど全然前に進んでいる気がしない、ということがよくあります。それは、外国に行くのに一所懸命自転車をこいでしまっている、という感じに似ているかもしれません。
「自転車をこげば前に進むのは間違いない」と考えますが、手段と方法が適切ではありません。
セックスレスにおいてはそういうことはよくあります。
ただ、途中から出あっても適切な交通手段を選べれば、楽に短時間で目的地に行くことは出来ます。
解消するには、大変であってもいかに頑張り続けられるかどうか、ではありません。
自転車は適切ではない、ということを知って、より適切な手段を選べれば、目的地ははるか遠いものではないことに気付いていけます。
世の中の夫婦やカップルの中には、普段の仲はいいのにセックスレスである、という二人が少なくありません。
そして他にも、実は二人ともセックスが嫌いではないのにセックスレスになっていることもあります。
さらに言いますと、一見不思議にも思えますが、二人とも本当はセックスをしたいと思っているのにセックスレスになっている場合もあります。
もちろん、他にもセックスレスのケースは色々とありますが、カップルでそういった状態が起こる理由の一つに、二人のあいだで話がセックスの事になりますと、普段の二人の関係とはまた違う、
「セックスなりの」心理や考えを抱くことが多いから、
という点があります。
二人の仲を良くしようとがんばっているけれどもセックスレスがなかなか改善しない・・・という事が少なくないのは、そういった理由も大きく含まれます。
そのため、セックスレスを解消するためには、
「セックスレスなりの理屈」
というものが大きく意味を持ってきます。
そこでは、セックスレスをいかに解消できるか、と同時に「なぜ解消できないのか」という点も大きく意味を持ってきます。
それは、その「セックスレスなりの理屈」に踏み込めるかどうか、が、状況を分ける一つの大きなところとなっています。
セックスレスなりの理屈、というのは、二人のセックスにはとても大きな影響を持ってきます。
たとえば、セックスレスを解消したいと思っている時に、
「相手の性欲や、やる気を高めたい」
と思ったことはあるでしょうか。
そのことは、ある意味当然ながら一番基本的なところであるように思えますよね。
相手が性欲を持ってくれたり、やる気を高めてくれたら、それは根本的な解決であるようにも思います。
ただ・・・そのこと、つまり
「相手の性欲を高めよう」
ということを、
「しない方がよい」
と言われたら・・・どう思うでしょうか。
「何を言っているんだ」
という感じかもしれませんよね。
でも、これはかなりの部分で冗談ではないことなのです。
仮に、このことをがんばってみた事がある人などは、それがとても難しいことではなかったでしょうか?
そもそも、相手が性欲を高めてくれたならうれしいことですし、「相手の性欲を高めたい」と思う事自体は何も悪いことではありません。
それはもちろん意味がありますのでそれは私も重要に考えて、「相手の性欲を高める方法」というのも深く取り扱っています。
ただ、「いきなり最初から」「期待する程までの効果を出すのを目指す」のは難しいというところがあります。
それによる自分の気持ちの辛さの点が無視できない大きさになってきます。
その度に、セックスレスの解消に対して失望感を感じていってしまいます。
また他に、セックスレスになってしまう要因の大きなものとして、
「あまり時間がない」「家事や子育てで忙しい」
などもよくあります。
そして、それらによって「やる気もそれほど高まらない」というところもよくあることです。
こういった要素は確かによくありますし、時間や忙しさの問題も当然セックスの実現に大きく影響をしてくるところです。
ただ、そこは認識しながらも同時に考えたいところがあります。
そもそもカップルや夫婦は、セックスとは
「こういったは開始の流れで」
「これくらいの時間をかけて」
「こういった内容をする」
といったような事を含めたような、二人なりの
「セックスとはこういうもの」
という共通イメージのようなものがよくあるものです。
それはカップルごとに違うものですが、何となく共通認識となっている、自分たちにとってのいわば
「普通のセックス」
というものがあって、セックスをするにしても、しないにしても、
その「普通のセックス」を
「するか、しないか」
という選択だけになっていることは多いわけです。
それ自体は別に悪いことではありませんが、そこで一つ重要なのは、そのカップルにとっての普通のセックスは、実現のしやすやの程度がどのくらいか、というところです。
つまり、たとえばカップルによってはセックスというものは、
「余裕のある時間が何時間もたっぷりとあって」
「仕事や子育ての心配が全くないタイミングで」
「疲れもなく、エッチな気持ちが高まっている時に」
始めて実行されるものであったとします。
そうしますと、このカップルは、それらの条件が整った時のみセックスをすることになりますが、それは日常生活の中では、なかなか訪れないチャンスとなりそうです。
良い条件がほぼ100%整った時のみ、そのカップルはセックスが実現します。
100%とはいかなくても、90%は必要そうです。
つまりイメージとしてそのカップルにセックスが実現するラインというのを仮に考えてみますと、その「セックスの実現ライン」は「90%」程度ということになります。
一方で、また別のカップルは、多少忙しかったり、時間が少なかったりしてもセックスが実現するカップルがいたとしますと、そのカップルの「セックスの実現ライン」というのは、「30%」くらいの低いものかもしれません。
そのカップルは、セックスが実現するには30%だけ条件が整っていればよいわけです。
普段において、どちらのカップルの方がセックスレスになりやすいは、この場合言うまでもないでしょう。
もちろん実際には他の要素もからんできますが、一旦、自分たち二人の「実現ライン」のイメージを考えてみました時には、そのラインは高そうでしょうか、低そうでしょうか。
そのラインの高さに影響を与えるのは、忙しさ、とか、時間のありなし、疲れ、などは比較的わかりやすいような要素ですが、他にもたとえば、「やる気の程度」なども入りそうです。
つまり、事情は色々ありながらも、結果として
「やる気がとても高まった時だけセックスをする」
カップルというのは、その分自然とラインが高くなっています。
一方で、やる気がとても高まっていなかったとしてもセックスをしてもいい、というカップルは、それだけラインが低くなりますから、実現しやすくなります。
この、「実現ライン」という名前はどうでもいいのですが、その高さ低さのイメージは、とても大きな意味があります。
と言いますのは、ラインが90%のカップルがいたとしまして、なにかと忙しい二人の日常においては、なかなか良い条件が整う日がなく、条件の良さはせいぜい70%程度くらいまでしか整わない、ということだったとしますと、そのカップルはセックスレスになってしまうわけです。
でもここで、何らかでそのカップルの実現ラインを50%に下げることができたなら、なにかと忙しいという二人のライフスタイルが変わらないままでも、いきなりセックスレスではなくなることになるわけです。
一見シンプルながら、ここはとても大きな意味のあるところです。
普段におきましては、その二人がセックスレスを解消しようとしましても、実現ラインが90%に固定したまま、がんばって時間を作ったり、疲れを取ろうとしたり、なんとかやる気をだそうとしたり、などによって、自分たちのラインであるその90%を越えるように目指して、セックスの実現へとがんばろうとするわけです。
でも、それはなかなか大変な作業となります。
忙しさ、などといったような要素は、仕事状況や子供など、二人のライフスタイルが変わらないあいだはそれを大きく解決するというのはなかなか難しいところです。
セックスレスを解消しようとがんばってもなかなか前に進めない時というのは、この点があることも多いものです。